上場審査ストップ事例

  1. ⚠️審査対応NGワード「5選」
  2. 主幹事審査が中断する深刻な事例3類型
  3. 審査を中断させないためのポイント
  4. 監査役の具体的な事例紹介

⚠️ 1.審査対応NGワード「5選」

①「社長を信頼しているので任せています」
②「(課題や指摘事項は)全くありません」
③「規程にはそう書いてあります
④「それは事務局(担当部署)に聞いてください」
⑤「未定です」 

⚠️ 2.主幹事審査が中断する深刻な事例3類型

1.内部管理体制の重大な欠陥

①労務問題の隠蔽(未払い残業代など)
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  • 仮設例_労務問題の隠蔽(未払い残業代など)


②関連当事者取引の未清算・隠蔽
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  • 仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面 


③架空売上や不適切な会計処理
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  • 仮設例_架空売上や不適切な会計処理


  • 仮設例_監査役調書_架空売上など


2.コンプライアンス・法令違反

① 反社会的勢力との関係
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  • 仮設例_ 反社会的勢力との関係疑惑


② 許認可の未取得・法令違反事業の展開
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  • 仮設例_上場審査で発覚した「許認可の未取得と法令違反事業の展開」

 

③ インサイダー取引などの不公正取引の疑い
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  • 仮設例_上場審査直前に浮上した「インサイダー取引の疑い」


④下請法違反(優越的地位の濫用・不当な値引き等)
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  • 仮設例_上場審査で発覚した「下請法違反」の実態 


3. 業績・事業計画の根幹に関わる問題

①直前期・申請期の業績の大幅な下方修正
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  • 仮設例_上場審査中に発覚した「直前期の大幅な業績下方修正」 


② 主要な取引先からの取引停止通告
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  • 仮設例_主要な取引先からの取引停止通告


1.内部管理体制の重大な欠陥】

① 労務問題の隠蔽(未払い残業代など) 

  • 上場審査において、労務問題は非常に厳しくチェックされます。


  • 審査の最終盤になって、実は未払い残業代が多額に残っていたことが発覚したり、不当な労働環境(長時間のサービス残業、パワハラなど)が常態化しており、従業員からの告発や労働基準監督署からの是正勧告が入ったりした場合、その改善と体制整備が完了するまで審査はストップします。 

仮設例_労務問題の隠蔽(未払い残業代など)

上場審査で発覚した「未払い残業代」の隠蔽

――N-1期の直前、監査役が知るべきでなかった事実を知った日

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

登場人物と会社の概要 】

【会社】社員数120名・ITコンサルティング業・東証グロース上場を目指すN-1期直前

【社長】創業14年目
エンジニア出身で技術力への自信が強い。
「うちのメンバーは皆やりがいを持って働いている」が口癖

【人事部長】在籍9年のベテラン
社長の信頼が厚く、労務管理を一手に担ってきた。「社長に悪い話は上げない」文化の体現者

【Yさん】エンジニア部門のリーダー格
在籍6年。退職を考えている

【常勤監査役(語り手)】元社会保険労務士事務所代表
労務問題には敏感。就任から8ヶ月目

【主幹事証券】 上場申請書類の作成が最終段階
申請予定まで残り4ヶ月

問題の発端——退職面談の申し出】

ある月曜日の朝、Yさんから「退職について相談したい」というメールが届きました。
宛先は人事部長ではなく、私(監査役)でした。
 
理由は後で分かりましたが、「人事部長に言っても握りつぶされる」という判断でした。
その日の午後、会議室でYさんと向き合いました。
 
「退職を考えているのですか」

「はい。ただ……辞める前に言っておきたいことがあります。監査役さんなら、ちゃんと動いてくれると思って」

Yさんが話し始めた内容は、私の予想をはるかに超えていました。
 
Yさんの証言——「知っていた人は皆知っていた」
 
Yさんが語った内容を整理すると、以下のとおりです。
 
【労働時間の実態】

エンジニア部門では月80〜100時間の残業が常態化している
ただし、タイムカード(打刻システム)は月45時間を超えないよう「手動で修正」することが暗黙のルールになっている
修正は各自が行うのではなく、チームリーダーが一括して「調整」している

【未払い残業代の規模】

Yさん自身の試算では、過去3年間で200万円以上の未払いがある
エンジニア部門全体(約40名)に同様の状況が続いているとすれば、総額は数千万円規模になる可能性がある

【会社側の認識】

人事部長はこの実態を把握している

「IPOが終わるまで表沙汰にしないでほしい」という言葉を人事部長から直接言われたことがある

社長がこの実態を知っているかどうかは不明

聞きながら、私は背筋が寒くなりました。
「IPOが終わるまで表沙汰にしないでほしい」——これは隠蔽です。
 
監査役として最初にやったこと—事実の確認

感情的に動く前に、まず事実を確認する必要がありました。

私はYさんに「話してくれてありがとうございます。事実確認を行います。あなたの名前は出しません」と伝えた上で、以下の手順で確認を進めました。

①打刻データの取得

人事部門に「労務管理の監査を行いたい」として、タイムカードのシステムログと、勤怠管理台帳の両方の提出を求めました。 

2つのデータを並べてみると、異常が一目で分かりました。 

システムログ(PCのログイン・ログオフ記録)と勤怠管理台帳の間に、毎月コンスタントに30〜50時間の乖離がある社員が複数いました。システムログ上は深夜0時過ぎまで稼働しているのに、タイムカード上は21時退社になっている——これは「修正」の痕跡でした。 


②複数のエンジニアへのヒアリング
 
部門往査の一環として、エンジニア部門の5名に個別で短時間のヒアリングを行いました。「最近の業務量はどうですか」という問いから始めると、全員が「残業が多い」と答えました。「タイムカードの入力はどうしていますか」という問いに対して、2名が「チームリーダーが調整してくれています」と答えました。

③人事部長への直接確認
 
2つのデータとヒアリング結果を手元に、人事部長に個別で話を聞きました。
 
最初は

「システムログは誤作動があります」
「エンジニアは自主的に残って勉強しているだけです」
という言葉が返ってきました。

私がシステムログと勤怠台帳の乖離データを具体的な数字で示すと、人事部長の顔色が変わりました。
 
「……正直に言います。社長がとにかく残業代を抑えるよう言っていて、私が何とかしてきたんです。IPOが終われば正常化するつもりでした」
 
社長への報告—「知らなかった」という言葉】

人事部長のヒアリングを終えた翌日、私は社長に個別で報告しました。 

「エンジニア部門で、システムログと勤怠管理台帳に大きな乖離があることを確認しました。複数の社員へのヒアリングと人事部長への確認により、タイムカードの修正が組織的に行われていた事実を把握しています。これは労働基準法違反に当たる可能性があります」

社長はしばらく沈黙した後、こう言いました。
 
「……私は知らなかった。人事部長が勝手にやっていたことだ」

私は続けました。 

「社長が指示したかどうかにかかわらず、組織的に行われていた事実は変わりません。また、この問題を上場申請後まで放置することは、選択肢にありません。
主幹事証券に報告し、対応策を協議する必要があります」

社長の顔が青ざめました。

「……上場は、どうなるのか」

仮設例_労務問題の隠蔽(未払い残業代など)_【主幹事証券への報告】

主幹事証券への報告—「申請を止めるかどうかの判断」

その日の夕方、私は主幹事証券の担当者に電話を入れました。

「重大な労務問題を把握しました。エンジニア部門で組織的な打刻修正が行われており、未払い残業代が相当額発生している可能性があります。申請まで残り4ヶ月ですが、この問題を隠蔽したまま申請することはできません」

担当者は深刻な声で言いました。

「分かりました。まず問題の全容を確認する必要があります。
社会保険労務士と弁護士を交えて、未払い額の試算と対応策の検討を至急始めましょう」

翌週、緊急の会議が開かれました。
主幹事証券・社外弁護士・社会保険労務士・社長・監査役が集まりました。

【問題の全容と対応策】

約1ヶ月かけて行われた調査の結果、以下の事実が確定しました。

【未払い残業代の規模】

  1. 対象者:エンジニア部門38名
  2. 対象期間:直近3年間(労基法上の時効期間)
  3. 未払い総額:約4,200万円(試算)


【労働基準法違反の内容】

  1. 時間外労働の割増賃金の不払い(労働基準法37条違反)
  2. 労働時間の虚偽記録(労働基準法108条違反)
  3. 36協定の上限を超える時間外労働の黙認


【会社側の対応方針】

弁護士・社会保険労務士との協議の結果、以下の方針が決定されました。 

  1. 全対象者への未払い残業代の遡及支払い(約4,200万円+遅延損害金)
  2. 労働基準監督署への自主申告
  3. 勤怠管理システムの刷新(打刻修正が物理的にできない仕組みへの変更)
  4. 36協定の見直しと適正な時間外労働管理体制の構築
  5. 人事部長への処分(降格・報酬減額)
  6. 再発防止策の策定と取締役会への報告

仮設例_労務問題の隠蔽(未払い残業代など)_【上場スケジュールへの影響】

【上場スケジュールへの影響】

上場申請は6ヶ月延期されました。
 
主幹事証券の判断は「問題を把握した上で申請することはできない。
対応策の実施と実効性の確認を経てから申請する」というものでした。 
6ヶ月という期間は以下のために使われました。
 

  1. 未払い残業代の支払い完了(4ヶ月)
  2. 勤怠管理システムの刷新と新体制での運用開始(3ヶ月)
  3. 労働基準監督署による指導への対応(2ヶ月)
  4. 主幹事証券による追加の実態確認(2ヶ月)
  5. 延期の事実は、後の上場審査で取引所に開示されました。 


上場審査でのやりとり】

取引所審査において、この問題について詳しい確認がありました。
 
「申請が6ヶ月遅延した理由として労務問題が挙げられていますが、詳しく教えてください」

私は経緯を正直に説明しました。
 
「N-1期直前に、エンジニア部門での組織的な打刻修正と未払い残業代の発生を監査役として把握しました。主幹事証券と協議の上、申請前に問題を解決することを選択しました。未払い残業代約4,200万円の支払い・勤怠管理システムの刷新・労働基準監督署への自主申告を完了しています」

審査担当者は続けました。
 
「監査役はどのようにこの問題を把握したのですか」

「退職を考えていた社員から直接の申し出があり、そこから労務データの確認・ヒアリング・人事部長への確認と段階的に事実を確認しました。その後、主幹事証券に即日報告しています」

審査担当者は資料を確認した後、こう言いました。
 
「問題の発見から報告・対応まで、監査役として適切に機能しています。隠蔽せずに対処した事実と、対応の実効性が確認できれば、上場の障害にはなりません」

結果として、会社は6ヶ月遅れで上場承認を受けました。
 
【Yさんのその後】

Yさんは退職しませんでした。
未払い残業代が支払われ、勤怠管理の実態が変わったことで、「この会社にいる理由ができた」という言葉がありました。

エンジニア部門の離職率は、翌年大きく改善しました。
 
【3つの教訓 】

①「悪い話が上がってこない」会社ほど危ない
 
「社長に悪い話は上げない」文化は、IPO準備企業でよく見られます。表面が穏やかで問題がないように見える会社ほど、内部に問題を抱えているケースがあります。監査役が日頃から「話しかけやすい存在」でいることが、Yさんのような直接の申し出につながります。

②労務問題は「数字で確認できる」
 
「証拠がない」と感じるかもしれませんが、労務問題は数字で確認できます。システムログと勤怠台帳の乖離、部門別の退職率・有給取得率・残業時間の分布——これらを定期的に確認することで、問題の兆候を早期に把握できます。

③「隠蔽して申請」より「開示して遅延」の方が傷は浅い
 
6ヶ月の遅延は会社にとって痛手でした。しかし「隠蔽したまま申請し、上場後に発覚した場合」と比べると、傷は格段に浅い。
上場後の労務問題の発覚は、株価への影響・行政処分・集団訴訟という連鎖を引き起こします。発覚したときに適切に対処した事実は、長期的に会社を守ります。
 
本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。
出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

 ②関連当事者取引の未清算・隠蔽 

  • オーナー社長やその親族、関連会社との不透明な取引(資金の貸借、不動産賃貸など)は、上場前にすべて清算、あるいは合理的な理由による明確なルール化が求められます。


  • これが審査の途中で発覚した場合、利益相反の観点から重大な問題とみなされます。


→事例はこちらを参照

仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面 

 【IPO準備企業でよく起きるパターンと、打開のポイント】

※本ケーススタディは、IPO準備企業の監査役が実際に直面しやすい状況を類型化したものです。特定の企業・個人を指すものではありません。

このケーススタディについて
「監査役として関連当事者取引に異議を唱えたいが、どう伝えればいいか分からない」

「社長の近親者が関係する取引で、社長に切り出しにくい」

仮設例

項目】
企業規模

上場フェーズ

監査役

問題の種類


年間委託額

【内容】
社員数90名、 人材紹介・研修サービス業 

 東証グロース上場を目指すN-2期 

 元メガバンク出身・就任8ヶ月目 

オーナー社長の実兄が経営する会社への業務委託

 約2,160万円 

仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面 

Step 1:問題の発見—どこで気づくか

 【よくある気づきのきっかけ】


経費明細や月次の支払明細を確認しているときに、見慣れない取引先名が目に入る。金額が継続的・相当額であることに引っかかりを覚える。


【確認すべき事実】

発見後、以下の4点を順番に確認します。

  1. 取引先の実態確認(登記情報・代表者名・設立経緯)
  2. 取引内容の確認(契約書・仕様書・成果物の存在)
  3. 取引開始の経緯確認(誰の紹介・稟議の有無・相見積りの有無)
  4. 代表者と社長・役員との関係確認(親族・旧友・ビジネスパートナー等)


このケーススタディで確認された事実

  • 取引先の代表者が社長の実兄だった
  • 相見積りの取得記録がなかった
  • 稟議は「代表取締役承認」の印鑑のみで、他役員の確認なし
  • 取引開始は会社設立3年目(兄の会社が設立されたタイミング)

仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面 

Step 2:「言うべきか・飲み込むか」—葛藤の整理

 【関連当事者取引への異議申し立ては、監査役が最も躊躇しやすい場面の一つです。】


【飲み込もうとする理由(よくあるもの)】

  • 社長に推薦されて就任した経緯への遠慮
  • 「実際に業務はしているかもしれない」という不確実性
  • N-2期のこの時期に問題を起こすことへの罪悪感
  • 「自分の認識が間違っているかもしれない」という自信のなさ


【それでも言わなければならない理由】

  • 年間2,160万円は会社の規模(売上8億円)から見て相当額
  • 相見積りがなく、第三者性を証明できない以上、審査で必ず問題になる
  • 黙っていた場合、「知っていたのに何もしなかった」という善管注意義務違反が問われうる
  • 監査調書に「確認して問題なし」と記載することは、「この取引を認めた」ことになる


【判断の分岐点】

「この取引を審査担当者に説明できるか」
—この一問が、言うか飲み込むかの分岐点になります。説明できないなら、言う必要があります。

仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面

Step 3:伝え方—「批判」ではなく「確認」として切り出す 

 【避けるべき伝え方】


「この取引は問題です。すぐに止めてください」


これは社長を防御的にさせ、関係を壊します。


【有効な伝え方—「確認」の形で切り出す】


「○○コンサルティングへの業務委託について確認させてください。代表者が社長のご兄弟と伺いましたが、この取引は関連当事者取引として整理が必要ではないでしょうか」


【ポイント①:取締役会の前に個別面談で先に伝える】

公開の場での突然の指摘は対立を生みやすい。まず社長との個別面談で事実を確認し、理解を得てから取締役会での対応を協議する。


【ポイント②:「審査での説明可能性」という文脈で伝える】

「信頼できる取引先だということは理解しています。ただ、上場審査では第三者間取引と同等の条件であることを客観的に示す必要があります」


「会社を批判している」ではなく「IPOのために必要な整理をしている」という立場を明確にする。


【ポイント③:社長が「動かない」場合の次の手を準備しておく】

個別面談で理解を得られない場合、主幹事証券を通じて「審査上の必須事項」として伝えてもらう。主幹事の一言が最も効果的な場合が多い。

仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面

Step 4:社長の反応パターンと対処法

 【パターンA:「あの取引は問題ない」と言い張る場合】

「問題があるかどうかではなく、第三者に説明できるかどうかが審査の基準です。相見積りの資料と業務の成果物を確認させてください」


事実確認の権限(会社法381条の調査権)を行使し、具体的な資料提出を求める。


【パターンB:「うるさい監査役だ」と不満を示す場合】

感情的な反応には正面から反論しない。


「私の役割は会社が審査を通過できるよう支援することです。この点を整理しておかないと、申請後に審査が長引く可能性があります」


「監査役として言っている」ではなく「会社のために言っている」という立場を崩さない。


【パターンC:「分かった、整理する」と言って動かない場合】

具体的な期限と確認事項を書面で伝える。


「次回の取締役会(○月○日)までに、①業務内容の文書化、②市場相場との比較資料、③取締役会への上程—この3点をお願いします」


口頭ではなく文書(メール等)で残すことが重要

仮設例_監査役が「関連当事者取引」に異議を唱えた場面

Step 5:是正の進め方—「整理」の具体的な手順

 関連当事者取引の整理は、「廃止」か「適正化」の2択になります。


【選択肢A:取引の廃止】

第三者性の証明が困難な場合や、取引の必要性が薄い場合は、取引を廃止することが最もシンプルな解決策です。


【選択肢B:取引の適正化(条件整備)】

取引を継続する場合は、以下の整備が必要です。

選択肢B:取引の適正化(条件整備)

【整備項目】

業務内容の文書化

相見積りまたは市場相場との比較
 
取締役会での審議・承認


 有価証券届出書への開示

内容】

  • 委託業務の内容・成果物・検収基準を契約書に明記


  •  委託単価が市場水準と乖離していないことを証明


  • 関連当事者取引として正式に取締役会に上程し、議事録に記録 


  •  申請書類に関連当事者取引として記載 

③架空売上や不適切な会計処理

  • 監査法人の監査をすり抜けていたものの、証券会社の審査の過程(売上計上基準の確認や契約書の精査など)で、架空売上や利益操作を目的とした不適切な会計処理が発覚するケースです。


  • これは上場適格性の根幹を揺るがす事態であり、即座に審査は中断し、過去の決算の修正や第三者委員会の設置が必要になることもあります。

仮設例_架空売上や不適切な会計処理

 【上場審査直前に発覚した「架空売上と不適切な会計処理」】

――信じたくなかった。しかし、数字は嘘をつかなかった。

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

登場人物と会社の概要

【会社】 社員数110名・ITコンサルティング・受託開発業・東証グロース上場を目指すN-1期の第4四半期

【社長】創業13年目
温厚で誠実な人柄。しかし数字へのプレッシャーが強く、幹部に対して「何としても計画を達成してほしい」という言葉を繰り返していた

【取締役F(営業本部長)】社長の右腕
今期の売上計画達成に強いプレッシャーを感じていた。入社8年目

【外部法人P社】 取締役Fが個人的に親しい経営者が代表を務める会社。本社との取引実績はほぼない

【担当監査法人】監査法人として監査を実施中
N-1期の期末監査が進行中

【常勤監査役(語り手)】元公認会計士事務所出身
不正会計の兆候には敏感。就任から1年8ヶ月目

【主幹事証券】申請書類の最終確認が完了し、申請直前の段階

【問題の発端】

監査法人からの「非公式な一言」
N-1期の期末監査が進んでいた2月のある日、担当の監査法人パートナーから電話がありました。

「監査役として、ひとつ確認していただきたいことがあります。非公式なお話なのですが……」

監査法人のパートナーからこういう電話がかかってくること自体、異例です。私はすぐに「何かある」と感じました。

パートナーが続けました。

「N-1期の第4四半期に計上された売上のうち、P社という法人との取引について、通常の取引と異なる点があります。

  1. 検収書の日付と入金日の間隔が極めて短い。
  2. また、P社との取引はN-1期だけで急増しており、それ以前の取引実績がほぼありません。

監査として確認を進めていますが、監査役にも把握しておいていただきたいと思いまして」

電話を切った後、私はすぐに自分の監査記録を確認しました。

P社——聞いたことのない社名でした。

独自の調査開始——「不自然な取引」の輪郭が見えてきた
パートナーからの電話を受けた翌日から、私は独自に調査を始めました。

①売上明細の確認

経理部門にP社との取引の詳細を求めました。

N-1期に計上されたP社への請求総額は1億2,000万円。
内訳はシステム開発の「コンサルティング費用」として4件の請求書が発行されていました。

前期(N-2期)のP社との取引はゼロ。N-3期もゼロ。

②契約書・検収書の確認

4件の取引について、契約書・仕様書・検収書を取り寄せました。

気になった点が3つありました。

  1. 契約書の作成日と請求書の発行日が同月内に集中している(通常、システム開発は数ヶ月の期間が必要)
  2. 仕様書が1〜2枚程度の概要書のみで、通常のシステム開発で作成されるような詳細な要件定義書・設計書がない
  3. 検収書の日付が請求書発行日の翌日〜3日後になっている(通常、システム開発の検収には検証作業が必要なため、このような短期間での検収は不自然)


③P社の実態確認

登記情報を確認したところ、P社は設立から2年の小規模な会社でした。代表者の名前を検索したところ、取締役Fとの関係を示すSNSの投稿が見つかりました。

個人的なつながりがある相手への急増した発注、短期間での検収、仕様書の薄さ——これらが重なりました。

「まさか」という感情と「やはり」という確信
調査を進めながら、私の中に2つの感情が同時にありました。

一方では「まさか、取締役Fがそんなことを」という気持ち。

もう一方では「これだけの状況が揃えば、やはりそういうことだ」という確信。

監査役として、感情で判断してはいけない。
しかし事実から目を背けてもいけない。

④取締役Fへの直接ヒアリング

取締役Fに個別で話を求めました。

「P社との取引について確認させてください。
今期、1億2,000万円の取引が計上されていますが、それ以前の取引実績がありません。
どのような経緯でこの取引が始まりましたか」

取締役Fは少し間を置いてから答えました。

「P社の代表とは知り合いで、今期からコンサルティングをお願いすることになりました。社長の承認も得ています」

「コンサルティングの具体的な成果物を見せていただけますか」

「……社内に保管してあります。後で確認します」

しかし翌日も、翌々日も、成果物は提出されませんでした。

仮設例_架空売上や不適切な会計処理_【監査法人との緊急連携】

 【監査法人との緊急連携

「重大な虚偽表示の可能性がある」

P社との取引についての状況を、監査法人パートナーに共有しました。

パートナーからの返答は深刻でした。

「私どもの調査でも同じ状況が確認されています。
P社の代表者と取締役Fの個人的な関係、成果物の不存在、短期間での検収
——これらを総合すると、架空取引の可能性を排除できません。
財務諸表に重大な虚偽表示が含まれている可能性があります」

「その場合、監査法人としての対応はどうなりますか」

「この状態では、適正意見を表明することはできません。
会社が適切な調査と修正を行わない限り、限定意見または不適正意見になります」

監査法人の適正意見が得られなければ、上場申請は不可能です。

社長への報告——崩れていく「信頼していた右腕」
その日の夕方、社長・CFO・監査役の三者で緊急の面談を設けました。

私が事実を報告し始めると、社長の顔色が段々と変わっていきました。

「P社との1億2,000万円の取引について、架空取引の可能性があります。

  1. 成果物が存在しないこと、
  2. 取締役FとP社代表との個人的な関係、
  3. 異常に短い検収期間


——監査法人も同様の懸念を持っており、この状態では適正意見を表明できないと言っています」

社長はしばらく無言でした。
「……Fが、そんなことを」

小さな声でした。

【第三者調査の実施】

全容の解明
翌日から、外部弁護士による第三者調査が開始されました。

調査期間は約6週間。以下の事実が確認されました。

【架空取引の全容】

  1. P社との1億2,000万円の取引は、実際のコンサルティング役務が提供されていない架空の売上計上だった
  2. 取締役FがP社代表と合意し、請求書・検収書を形式的に作成した
  3. P社に振り込まれた代金は、P社代表を経由して取締役Fに一部が還流していた(横領)
  4. 取締役Fの指示で、部下の経理担当者1名が書類作成に関与していた


【他の不適切な会計処理】

架空取引の調査過程で、追加の問題も発覚しました。

  1. N-2期に計上された売上のうち3件(合計4,800万円)について、検収前に売上計上されていた(期ズレ)
  2. 特定の経費3件(合計820万円)について、私的な用途に使用された可能性がある


【被害総額】

  1. 架空売上:1億2,000万円
  2. 横領額(取締役Fへの還流分):約3,600万円
  3. 期ズレ売上:4,800万円
  4. 疑義のある経費:820万円


【会社の対応——困難な選択の連続】
第三者調査の結果を受けて、会社は以下の対応を取りました。

①取締役Fの即時解任・刑事告訴

  • 取締役会の決議により、取締役Fを即時解任しました。
  • 横領行為について刑事告訴を行いました。


②財務諸表の修正

  • N-1期・N-2期の財務諸表を修正し、架空売上の取り消し・期ズレ売上の訂正・経費の適正化を行いました。
  • 修正後のN-1期売上は、修正前から13%減少しました。


③主幹事証券への報告と申請取り下げ

修正後の財務諸表では、N-1期の業績が当初の申請書類と大きく異なります。
主幹事証券と協議の上、申請を取り下げることになりました。

④全取引の内部監査の実施

過去3年間の全取引について内部監査を実施し、他に問題がないことを確認しました。

⑤内部統制の大幅な強化

発注から検収・支払までの承認プロセスの見直し、取引先との関係性の定期的な確認制度の導入を行いました。

仮設例_架空売上や不適切な会計処理_【上場への道——2年後の再出発】

【上場への道—2年後の再出発】

申請取り下げから2年後、会社は再申請を行いました。

取引所審査では、この問題について詳しい質問がありました。

「過去に架空取引の問題があったとのことですが、現在の内部統制の状況を説明してください」

私は答えました。

「N-1期に発覚した架空取引を受けて、発注から検収・支払までの承認プロセスを全面的に見直しました。
特に、発注権限と検収権限を分離し、一定額以上の取引については監査役への報告を義務付けました。過去2年間、同種の問題は発生していません」

審査担当者は言いました。

「問題を適切に発見・処理し、再発防止策が実効的に機能していることが確認できました。
過去の問題があることは事実ですが、それを乗り越えて上場する準備ができていると判断します」

会社は2度目の申請で上場承認を受けました。

社長の述懐——最も重い代償と最大の教訓
上場承認の翌日、社長から私にこう言いました。

「13年間一緒にやってきたFがこんなことをするとは思わなかった。あいつへの信頼が盲目的だったかもしれない。
それと……私が『何としても計画を達成してほしい』と繰り返していたことも、Fを追い詰めた一因だったと思っている」

社長自身が「計画達成へのプレッシャーが不正の遠因になりえた」ことを認めた言葉でした。

架空取引は取締役Fの犯罪行為です。
しかし同時に、

  • 「失敗を許さない文化」
  • 「数字へのプレッシャー」


が不正の温床になりうることを、この事例は示しています。

【5つの教訓】

①監査法人からの「非公式な一言」を軽視しない

  • 監査法人が正式な問題提起をする前に、監査役に非公式に共有することがあります。この情報を受け取った場合、独自に確認を進めることが重要です。三様監査の連携が最も重要な場面の一つです。


②「急増した取引」「新規取引先との大型取引」は必ず深掘りする

  • 架空取引は多くの場合、それまで取引実績のない相手との急増した取引として現れます。
  • 取引先の実態・成果物の存在・発注者と取引先の関係——これらを確認することが基本手順です。


③成果物の現物確認を怠らない

  • サービス業・コンサルティング業の架空取引で最も多いパターンは「役務提供の架空計上」です。
  • 成果物の現物確認が最もシンプルで有効な手段です。書類が提出されない・遅延するという反応自体が問題のサインです。


④「計画達成へのプレッシャー」が不正の温床になりうることを経営陣に伝える

  • 過度な計画達成プレッシャーが不正リスクを高めることを、事前に取締役会で指摘しておくことが重要です。
  • 「失敗を許さない文化」の見直しは、内部統制の根本的な改善につながります。


⑤三様監査の連携が発見を早める

  • 監査法人の「非公式な一言」と監査役の独自調査が連動したことで、問題の全容が早期に把握できました。
  • 監査法人との日常的な情報共有が、有事の早期発見につながります。



本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

仮設例_監査役調書_架空売上など

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仮設例_監査役調書_架空売上など

【今回の調書特有の工夫】

  • 第1部の「対立の構図表」:黒川の主張・橋爪の主張・三村の認識を3列で並べることで、「どちらも嘘ではない」という解釈の相違の本質が一目で分かります


  • 第3部「できること・できないことの整理」:監査役が役割を逸脱しないよう、事前に行動の境界線を明示的に記録しました。これは横領調書にはない、「解釈の相違」問題特有の記録です


  • 「揺れの記録」(第3部):監査役自身の葛藤・内面を調書に残すという、このシリーズを通じた重要なメッセージを調書の形式として具体化しました


  • シナリオ試算表(第4部):3つのシナリオを表形式で示し、その結果として生まれた顧客確認書の取得件数と金額影響まで一覧で記録しています


  • 黒川の最後の言葉「正しいことが証明できる形になっていなかった」を「社長発言」として調書に記録した点は、来期以降の再発防止の文脈で重要な根拠になります

収益認識のズレと横領調書との構造的な違い 

【比較軸】

 問題の性質

 
監査役の行動

調書の特徴


主な重要な記録

【横領調書】
不正
(白黒がある)

 証拠収集・報告

 Yさんの証言記録・証拠保全


 時系列・証拠リスト中心

収益認識対立調書 】
 解釈の相違(どちらも正しく見える) 

 橋渡し・選択肢の提示 

 「仮説と事実の区別」より「揺れの記録」 

 論点整理・役割の明示・内面の記録

【2.コンプライアンス・法令違反】

① 反社会的勢力との関係

  • 反社チェックの漏れにより、主要な取引先や株主、さらには役員等に反社会的勢力(またはその密接交際者)が含まれていたことが発覚した場合、審査は致命的なダメージを受けます。  

仮設例_反社会的勢力との関係疑惑

【「まさかそんなはずがない」と思いながら、確認しなければならなかった日】

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

登場人物と会社の概要

【会社】社員数105名・不動産仲介・管理業・東証グロース上場を目指すN-1期の第2四半期

【社長】創業18年目
地域密着型の営業で会社を育ててきた。人脈が広く、業界内の顔が利く存在

【取締役H(営業担当)】社長の義弟
営業の最前線を担っている

【W社】会社が業務を発注している清掃・管理業者
3年前から取引が始まった

【常勤監査役(語り手)】元警察官出身(元刑事部門)
反社チェックには人一倍の経験がある。就任から1年1ヶ月目

【主幹事証券】申請書類の最終仕上げが進んでいる段階
申請まで残り約5ヶ月

【問題の発端—新聞記事の一行】

その日の朝、私はいつも通り業界紙を読んでいました。

地方欄の小さな記事でした。

「○○県警は△日、指定暴力団□□組系の組員を不動産絡みの詐欺容疑で逮捕した。逮捕された△△被告(44)は、不動産管理会社W社の関係者と交流があったとされ……」

W社
——見覚えのある社名でした。

私はすぐに発注先リストを確認しました。

会社が清掃・管理業務を委託しているW社と、記事に出てきたW社は、所在地・代表者名が一致していました。

「まさか」と「確認しなければ」の間で
新聞記事を見た瞬間から、私の頭の中で2つの声が戦いました。

「まさか」という声

W社との取引は3年間トラブルなく続いている

記事は「関係者と交流があった」という程度の記述で、W社自体が反社であるとは書いていない

取引先の関係者が逮捕されたからといって、W社自体に問題があるとは限らない

社長は地域密着で18年やってきた。そんな会社と知って取引するはずがない

【「確認しなければ」という声】

元刑事としての経験上、「関係者と交流があった」という記述は軽く見てはいけない。

IPO審査では反社チェックが必須の確認事項であり、監査役として見て見ぬふりはできない。

「知らなかった」では済まされない。

上場後に発覚すれば会社の存続に関わる

私は監査役室のドアを閉め、記事のコピーを取りました。

まず「事実の確認」——3つの手順

感情ではなく事実で動く。元刑事の習慣がここで活きました。

①警察庁・都道府県警のデータベースや外部の反社チェックサービスの活用

会社が契約している反社チェックサービスに、W社・W社代表者・逮捕された人物の名前を照会しました。

結果は「直接的な該当情報なし」でしたが、「関連人物との接点に関する情報あり・詳細は個別確認要」というフラグが立ちました。

②W社との取引書類の確認

W社との3年間の取引書類を全て確認しました。

気になった点が2つありました。

  1. 取引開始時の反社チェックを実施した記録がなかった(3年前には反社チェックの規程が整備されていなかった)
  2. 取引開始の経緯が「取締役H(社長の義弟)の紹介」と経理担当者が証言した


③外部弁護士への相談

この段階で、私は個人的に顧問関係にある外部弁護士に相談しました。

弁護士の見解はこうでした。
「記事の記述だけでは断定できませんが、監査役として確認義務があることは明らかです。
主幹事証券に即日報告し、専門の調査会社による詳細な調査を実施することを強くお勧めします」

仮設例_反社会的勢力との関係疑惑_【主幹事証券への報告】 

主幹事証券への報告—「申請を止める可能性がある」

その日の午後、主幹事証券のH氏(引受審査担当)に電話しました。

「今朝の業界紙で、当社の取引先W社に関連する報道があり、反社会的勢力との関係が疑われる記述がありました。
取引開始時の反社チェックの記録もなく、取引開始が取締役Hの紹介であることも確認しています。詳細な調査が必要と判断し、最初に報告しました」

H氏の声のトーンが変わりました。

「分かりました。これは重大な事項です。
専門の調査会社による詳細調査を直ちに実施してください。調査結果が出るまで、申請書類の最終化を一時停止します」

社長への報告—「Hの紹介だったのか」という事実

主幹事証券への報告の翌日、私は社長に個別で話しました。

「W社についてお話ししたいことがあります。
昨日の業界紙の記事をご覧になりましたか」

社長は首を振りました。

私が記事のコピーを渡しながら説明しました。

「W社との取引は3年前に開始されていますが、取引開始時の反社チェックの記録がありません。
また、取引開始のきっかけが取締役Hの紹介だったと経理担当者から確認しました。
H取締役にW社との関係を確認したいと思いますが、よろしいですか」

社長の表情が複雑になりました。

「Hが紹介したのか……。Hに直接聞いてみよう」

しかし私は言いました。

「社長から聞く前に、まず私が個別に確認させてください。
社長を通じると、情報が整理されてしまう可能性があります」

社長は少し間を置いた後、頷きました。

取締役Hへのヒアリング—予想外の事実

取締役Hと二人での面談を設けました。

「W社との取引について確認させてください。
3年前に取引を開始した経緯を教えてください」

取締役Hは少し驚いた顔をしましたが、答えました。

「昔からの知り合いです。
清掃業者を探していたときに、良い仕事をすると聞いて紹介しました」

「W社の代表者とはどのような経緯で知り合ったのですか」

「業界の交流会で知り合いました。
もう10年くらいの付き合いになります」

「昨日の業界紙の記事はご覧になりましたか」

取締役Hの顔色が変わりました。

「……見ました」

「記事に出てきた逮捕された人物と、W社代表者との関係について、何かご存知ですか」

長い沈黙がありました。

「……W社の代表が以前、その人物と一緒に仕事をしていたことがあると聞いたことがあります。ただ、今は関係がないと聞いていたので……」

「今は関係がないと聞いていた」—これは「関係があったことを知っていた」ということでした。

【専門調査会社による詳細調査—2週間の経緯】

主幹事証券と協議の上、反社チェックに特化した専門の調査会社に詳細調査を依頼しました。

調査期間は2週間。調査の対象はW社・W社代表者・逮捕された人物・取締役Hの4者に設定しました。

【調査結果の概要】

  1. W社代表者は過去に逮捕された人物と「共同で不動産の仲介業務を行っていた期間があった」という事実が確認された(当該期間は当社との取引開始より5年以上前)
  2. 現時点では逮捕された人物とW社の間に「業務上の継続的な関係」は確認されなかった
  3. 取締役Hは当該事実を知った上で取引を開始していたことが、本人への追加ヒアリングで確認された
  4. W社自体が反社会的勢力に該当するという事実は確認されなかった

仮設例_反社会的勢力との関係疑惑_【取引所審査でのやりとり】 

【取引所審査でのやりとり】

申請から約3週間後、第1次書面質問の中にこの件に関する質問が含まれていました。

「申請書類のリスク要因に、過去の取引先に関する問題が記載されていますが、詳細を説明してください」

私は経緯を正直に説明しました。

「N-1期の第2四半期に、取引先W社に関する報道を監査役として把握し、即日主幹事証券に報告しました。
専門調査会社による詳細調査を実施した結果、W社自体は反社に該当しないことが確認されましたが、W社代表者の過去の人物関係と、その事実を知りながら取引を開始した取締役の行為が確認されました。
W社との取引終了・取締役への処分・反社チェック体制の整備を実施しています」

審査担当者の反応はこうでした。

「監査役が新聞記事から問題を発見し、即日主幹事証券に報告した対応は評価できます。
調査・対応・開示の流れが適切です。
ただし、取締役Hが関与していた経緯については、今後の取締役会のガバナンスの観点から引き続き確認が必要です」

【上場後—社長との振り返り】

上場承認から1ヶ月後、社長と私の二人での面談がありました。

社長はこう言いました。

「あの件、あなたが新聞記事から見つけて、社長の私より先に動いてくれた。
最初は驚いたし、Hへの処分は辛かった。
でも、黙ってそのまま申請していたらどうなっていたか、と思うと……」

「上場後に発覚していれば、上場廃止の可能性もありました」

「そうですね。
監査役がいる意味を、初めて実感した出来事でした」

【5つの教訓】

①「日常の情報収集」が反社問題の発見につながる

今回の発端は業界紙の小さな記事でした。監査役として業界の動向・地域の情報を日常的に収集していることが、問題の早期発見につながります。反社チェックはシステムだけでなく、人間の目による日常的な情報収集が補完します。

②「関係者と交流があった」という記述を軽視しない

報道の表現は慎重に読む必要があります。「関連人物との交流があった」という記述は、直接的な関与を意味しないように見えますが、確認を要するシグナルとして受け止める必要があります。

③取引開始時の反社チェック記録の不備は「今すぐ確認」のサイン

記録がない取引先については、いつ・誰の紹介で・どのような経緯で始まったかを確認しておく必要があります。特に「紹介者が社内の関係者(役員・親族等)」である場合は、利益相反の観点からも要注意です。

④「親族役員の紹介」は特に慎重に確認する

取締役Hが義弟であるという立場が、問題の発見を遅らせる要因になりました。社長の親族が役員を務めている場合、その役員が関与する取引先の選定プロセスは特に慎重に確認する必要があります。

⑤反社問題の開示は「隠すより出す」が会社を守る

反社との関係が疑われる問題が発覚した場合、隠蔽することは絶対に避けなければなりません。発覚した時点で即座に専門家(弁護士・主幹事証券)に相談し、調査・対応・開示を適切に行うことが、長期的に会社を守ることになります。

本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

②許認可の未取得・法令違反事業の展開

  • 事業を行う上で必須となる許認可(建設業許可、宅地建物取引業免許、人材派遣業許可など)を正しく取得していなかったり、関連法令(景品表示法、薬機法、個人情報保護法など)に違反するビジネスモデルであったことが発覚した場合です。

仮設例_上場審査で発覚した「許認可の未取得と法令違反事業の展開」

【「ずっとやってきた事業」が、実は許可が必要だと気づいた日】

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。


登場人物と会社の概要

【会社】社員数115名・人材紹介・人材派遣業・東証グロース上場を目指すN-2期の第1四半期

【社長】創業14年目
人材紹介事業から始まり、顧客の要望に応じて事業を拡大してきた。
「顧客のニーズに応えることが成長の原動力」という経営哲学を持つ

【取締役I(事業開発担当)】 新規サービスの立ち上げを担当
スピード重視で事業を展開してきた

【常勤監査役(語り手)】元厚生労働省出身
労働関係法令には精通している。就任から7ヶ月目

【主幹事証券】N-3期から引受審査を開始し、
N-2期に本格的な課題確認の段階に入っている

【外部弁護士(労働法専門)】問題発覚後に起用

問題の発端—新規サービスの「説明資料」を読んで気づいた

就任から7ヶ月目の往査で、事業開発部門を訪問した日のことでした。

事業開発担当の取締役Iから、直近1年間に立ち上げた新サービスの説明資料を渡されました。

3つの新サービスが記載されていました。

【サービスA:「スポットワーク紹介サービス」】

企業からの短期・単発の業務ニーズに対して、登録した個人を紹介するサービス。

【サービスB:「エグゼクティブサーチサービス」】

年収800万円以上の管理職・役員クラスの人材紹介サービス。

【サービスC:「プロフェッショナルシェアリングサービス」】

CFO・法務担当者・人事担当者などの専門職を、複数の中小企業に「シェア」して提供するサービス。週2〜3日稼働の形で各社に常駐してもらう形態。

資料を読みながら、私の頭の中で警戒信号が点灯しました。

元厚生労働省出身として、これらのサービスの法的な位置づけが瞬時に気になりました。

【「これは許可が必要では」という直感】

3つのサービスについて、頭の中で法的な整理を始めました。

【サービスAについて】

短期・単発の業務ニーズに対して個人を「紹介」するサービス
——これは職業安定法上の「職業紹介事業」に該当する可能性があります。

職業紹介事業を行うには厚生労働大臣の許可が必要です(有料職業紹介事業許可)。

この会社はすでに有料職業紹介事業の許可を取得していますが、「スポットワーク」という単発・短期の形態が許可の範囲内かどうかは確認が必要でした。

【サービスBについて】

エグゼクティブサーチは有料職業紹介事業に含まれるため、既存の許可で対応可能なはずです。
ただし、年収要件や業務形態によっては別途確認が必要な場合があります。

【サービスCについて】

これが最も気になりました。

専門職を複数の企業に「シェア」して提供し、各社に常駐させる形態——これは「労働者供給事業」または「労働者派遣事業」に該当する可能性があります。

労働者派遣事業を行うには厚生労働大臣の許可(労働者派遣事業許可)が必要です。

この会社は労働者派遣事業の許可を取得していませんでした。

取締役Iへの確認——「許可が必要だとは思っていなかった」】

資料を読み終えた後、私は取締役Iに直接確認しました。

「サービスCの『プロフェッショナルシェアリングサービス』についてお聞きします。専門職の方が複数の会社に常駐する形態ですが、労働者派遣事業の許可は取得していますか」

取締役Iはきょとんとした顔をしました。
「……派遣業の許可ですか?
うちは人材紹介なので、派遣の許可は必要ないと思っていました」

「専門職の方はどのような雇用関係になっていますか。
各社と直接契約しているのですか、それとも御社が雇用しているのですか」

「御社が雇用して、各社に派遣……いや、常駐させています。
給与も御社が払っています」

「御社が雇用して、御社が給与を払って、各社に常駐させている」
——これは法的に「労働者派遣」に当たる可能性が非常に高い。

「このサービス、いつから開始していますか」

「約1年前です。今20名の方に登録してもらっています。稼働中の方が8名います」

1年間、許可なく労働者派遣事業を行っていた可能性がありました。

サービスAの問題も浮上——「スポットワーク」の落とし穴】

翌日、サービスAについても詳細を確認しました。

「スポットワーク紹介サービスについて、登録者の方と企業の契約形態を教えてください」

担当者が答えました。
「登録者の方が直接企業と契約する形です。御社は仲介手数料をいただいています」

「1回あたりの業務の期間はどのくらいですか」

「1日〜1週間程度が多いです」

ここで問題が見えました。

有料職業紹介事業の許可では「労働関係の成立を斡旋する」ことが許可の範囲です。しかし「1日〜1週間の単発業務の仲介」という形態が、許可の「労働関係の成立」に当たるかどうかは解釈によって異なります。

さらに確認すると、一部のケースで「企業が登録者に直接給与を払うのではなく、御社経由で支払っている」という実態も発覚しました。

これは有料職業紹介事業の許可の範囲を超えている可能性がありました。

仮設例_上場審査で発覚した「許認可の未取得と法令違反事業の展開」_【主幹事証券への即日報告】

【主幹事証券への即日報告—「申請スケジュールに影響が出る」

その日の夕方、主幹事証券のH氏に状況を報告しました。

「事業の法的整理について、重大な問題を発見しました。

  1. サービスCについては労働者派遣事業の許可なく1年間事業を行っていた可能性があります。
  2. サービスAについても、一部の取引形態が有料職業紹介事業の許可の範囲を超えている可能性があります」


H氏の声が硬くなりました。
「人材業界は許認可の整理が最重要課題の一つです。
これは申請前に必ず解決しなければなりません。
労働法専門の弁護士を入れて、直ちに法的整理を行ってください。

申請スケジュールへの影響は、整理の結果を見てから判断します」

労働法専門弁護士による法的整理——「想定より問題は広かった」

翌週から、労働法専門の弁護士による法的整理が開始されました。

約3週間の調査の結果、以下の事実が確認されました。

【サービスCの法的位置づけ】

「サービスCは労働者派遣事業に該当します。御社が労働者を雇用し、指揮命令を各社に委ねる形態は、労働者派遣法の定義に該当します。1年間、無許可での労働者派遣事業を行っていた可能性があります」

【サービスAの法的位置づけ】

「基本的な形態は有料職業紹介事業の許可の範囲内ですが、御社経由での給与支払いのケースについては、業務委託の仲介として再整理が必要です。
現状では有料職業紹介と業務委託の仲介が混在しており、整理が必要です」

【追加で発覚した問題】

調査の過程で、さらに別の問題が浮上しました。

人材紹介の許可証に記載された「事業所」として届け出ているのが本社のみであるのに対し、サービスの実態として近隣の貸会議室を常時利用して面談を行っていた事実が確認されました。

これは「事業所の無届追加」として、別途行政への届出が必要な可能性がありました。

厚生労働省への自主申告——「無許可営業の事実」】

弁護士のアドバイスに基づき、厚生労働省への自主申告を行うことになりました。

社長に自主申告の必要性を説明したとき、社長はこう言いました。

「自分から届け出るのか。上場前に行政に問題を知られることになる」

私は答えました。
「逆です。
行政から指摘される前に自主申告することで、処分が軽減される可能性が高い。
また、上場後に発覚した場合、行政処分・社名公表・株価への影響という連鎖が起きます。
自主申告は会社を守るための最善の選択です」

社長は長い沈黙の後、承諾しました。

是正のプロセス——4ヶ月間の取り組み

弁護士・主幹事証券と連携しながら、以下の是正措置を実施しました。

①サービスCの一時停止と労働者派遣事業許可の申請

サービスCを一時停止し、厚生労働省に労働者派遣事業の許可申請を行いました。
許可取得までの期間(約2〜3ヶ月)、稼働中の8名については雇用を継続しながら別の形態(業務委託への切り替えが可能なケースのみ)で対応しました。

②サービスAの形態整理

給与支払いを御社経由としていた取引を全て整理し、企業と登録者の直接契約に切り替えました。
御社は仲介手数料のみを受け取る形態に統一しました。

③事業所の届出整理

貸会議室の常時利用を廃止し、面談は本社のみで実施する形に統一しました。

④許認可の全面棚卸し

この問題を契機に、会社が行っているすべての事業について許認可の要否を弁護士と共に確認しました。
追加の問題は発見されませんでした。

⑤厚生労働省への自主申告と行政指導への対応

自主申告を受けた厚生労働省から書面による行政指導が届きました。
「今後同様の事態が生じないよう適切な管理体制を整備すること」という内容で、事業停止等の重い処分には至りませんでした。

仮設例_上場審査で発覚した「許認可の未取得と法令違反事業の展開」_ 【上場スケジュールへの影響】 

上場スケジュールへの影響】

申請時期は3ヶ月延期されました。

理由は労働者派遣事業の許可取得に2ヶ月を要したことと、是正措置の実効性確認に1ヶ月を要したことです。

【取引所審査でのやりとり】

取引所審査において、この件について質問がありました。

「申請書類に、過去の許認可に関する問題の記載がありますが、詳しく教えてください」

私は経緯を正直に説明しました。

「N-2期の第1四半期に、監査役として新規サービスの法的整理を確認した結果、一部のサービスについて許認可が未取得のまま事業を行っていた可能性を発見しました。
即日主幹事証券に報告し、労働法専門の弁護士による法的整理と厚生労働省への自主申告を実施しました。
是正措置として、労働者派遣事業許可の取得・サービス形態の整理・許認可の全面棚卸しを完了しています」

審査担当者は資料を確認した後、こう言いました。

「監査役が発見し、即日報告・専門家への相談・自主申告という対応は適切です。許認可の整理が申請前に完了しており、再発防止策も整備されています」

【取締役Iとの会話—「なぜ確認しなかったのか」】

是正が完了した後、私は取締役Iと個別で話しました。

「一つ聞いてもいいですか。サービスCを立ち上げるとき、許認可の確認はしなかったのですか」

取締役Iは少し考えてから答えました。

「正直に言うと、新しいサービスを出すとき、社長から『スピードが命』と言われていたので、法的な確認は後回しになりがちでした。
顧客から要望があって、できると判断したら動く——それがうちのカルチャーでした」

「スピードが命」「できると判断したら動く」
——このカルチャーが許認可の確認を省略させていました。

この会話を受けて、私は取締役会で提案しました。

「新規事業・新サービスを立ち上げる際は、法務担当者(または外部弁護士)による許認可チェックを必須のプロセスとして規程に組み込むことを提案します」

この提案は承認され、社内規程に「新規事業開始前の法的チェックリスト確認」が義務付けられました。

5つの教訓】

①新規サービス・新規事業の「往査」は就任後早期に実施する

既存事業だけでなく、直近1〜2年で立ち上げた新規サービスについて、法的な整理ができているかを早期に確認することが重要です。
新規事業ほど「スピード優先」で許認可の確認が後回しになりがちです。

②人材・金融・不動産・医療・飲食——許認可リスクが高い業種を意識する

特に許認可が必要な業種として、人材(職業紹介・派遣)・金融(貸金・投資助言)・不動産(宅建業・不動産管理)・医療・飲食・建設などがあります。
これらの業種では、事業形態の変化ごとに許認可の要否を確認する習慣が必要です。

③「ずっとやってきた」という事実は「問題がない」という証拠にならない

「1年間問題なくやってきた」という事実は、「許可が不要だった」ということではなく「行政から指摘されなかっただけ」という意味です。
慣行として定着した事業ほど、許認可の見直しが行われにくいという落とし穴があります。

④自主申告は「処分の軽減」と「信頼の維持」につながる

行政への自主申告は、心理的には難しい決断です。
しかし、指摘される前に自主申告することで処分が軽減され、審査でも「適切に対処した」という評価を得られます。

⑤「スピードが命」というカルチャーが許認可の盲点を作る

新規事業を素早く立ち上げることは成長の原動力ですが、法的チェックを省略することのリスクは計り知れません。
「立ち上げ前の許認可チェック」を制度として組み込むことが、再発防止の根本的な対策になります。

本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

③インサイダー取引などの不公正取引の疑い

  •  役員や従業員が、自社の未公表の重要事実を知りながら自社株を売買したり、第三者に情報漏洩したりした疑いが持たれた場合、重大なコンプライアンス違反として審査はストップします。 

仮設例_上場審査直前に浮上した「インサイダー取引の疑い」

「まさか自社のことが」と思った瞬間、監査役として動かなければならなかった】

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

登場人物と会社の概要】

【会社】 社員数125名・医療DX系SaaS業・東証グロース上場を目指すN-1期の第3四半期

【社長】 創業9年目。医師出身の起業家
医療業界への強いコネクションを持つ

【取締役J(技術担当・CTO)】 共同創業者
社長の大学時代の同期。株式を3%保有している

【取締役Jの配偶者(K氏)】 医療機器メーカーに勤務
取締役Jを通じて会社の事業動向を聞くことがあった

【常勤監査役(語り手)】 元証券会社のコンプライアンス担当出身
インサイダー規制には詳細な知識を持つ。就任から1年4ヶ月目

【主幹事証券】 申請書類の最終確認が完了し、申請まで残り約2ヶ月の段階

【社外弁護士(企業法専門)】問題発覚後に起用

問題の発端—主幹事証券からの「確認の依頼」】

申請まで残り2ヶ月という段階で、主幹事証券のH氏から連絡がありました。

「少し確認したいことがあります。
先週、取引所から非公式に連絡がありました。
当社の申請予定企業について、証券監視委員会が内部情報の漏洩の可能性について調査を開始しているという情報があるとのことです」

「証券監視委員会が調査を開始している」
この言葉の重さを、元証券会社のコンプライアンス担当として私は即座に理解しました。

「具体的にどのような情報ですか」

「詳細は不明ですが、当社の大型の業務提携発表(先月のA社との提携)の前後に、特定の関係者の周辺で不自然な取引があった可能性があるとのことです」

先月のA社との業務提携発表

これは会社にとって重要な開示情報でした。
発表当日、会社の株式(上場前のため市場取引はないが、相対取引の可能性がある)と、A社の株式が動いていたとしたら……。

「インサイダー取引」の基礎知識——上場前でも適用される

ここで重要な点を確認しておきます。

上場前でもインサイダー規制は適用されます。

金融商品取引法では、上場前の会社の重要事実を知っている関係者(役員・主要株主・会社との一定の関係を持つ者等)が、上場後の取引を見越して上場申請後に株式を取得・処分することが規制されています。

また、上場企業(今回のケースではA社)の株式について、非公開の重要情報(業務提携等)を知りながら取引することも、明確なインサイダー取引に当たります。

独自の事実確認——「A社提携の情報を誰が知っていたか」】

H氏との電話を切った後、私はすぐに自分の記録を確認しました。

A社との業務提携交渉は、社長・CTO(取締役J)・CFOの三者が中心となって進めていました。

提携の発表日は先月の15日。
社内で発表の事実を知っていたのは、発表の2週間前(先月1日)からでした。

私は関連記録を確認しながら、頭の中で時系列を整理しました。

「提携の交渉は誰が関与していたか。
情報が外部に漏れる可能性があった経路はどこか」

最も気になったのは取締役Jです。

取締役Jの配偶者であるK氏が医療機器メーカーに勤務していること。これは就任時の関連当事者確認で把握していた情報でした。
A社は医療機器メーカーとの取引関係がある会社です。

「K氏がA社の株式を保有していないか」という確認が必要でした。

【社長への報告と「最初の確認」

翌日、私は社長に個別で報告しました。

「主幹事証券から、証券監視委員会がA社提携前後の取引について調査している可能性があるという情報を受けました。
社内で提携情報を知っていた関係者とその周辺について、情報漏洩の可能性がないか確認が必要です」

社長の表情が緊張しました。
「誰かが情報を漏らしたということか」

「現時点では分かりません。
ただ、確認をしないで放置することはできません。専門の弁護士を起用して、事実関係を整理することをお勧めします」

社長は即座に同意しました。

専門弁護士の起用—「調査の範囲設定」

その日のうちに専門の外部弁護士を起用し、翌日に初回の協議を行いました。

弁護士からの最初の指示は明確でした。

「まず、提携情報を知っていた可能性がある全ての関係者をリストアップしてください。
次に、その関係者とその家族・知人の中にA社株式の保有者または直近の取引者がいないかを確認します。
これはデリケートな調査なので、関係者への直接の問い合わせは私どもが担当します」

弁護士が設定した調査の対象者は以下のとおりでした。

  1. 社長(と配偶者)
  2. CFO(と配偶者)
  3. 取締役J(と配偶者K氏)
  4. A社との提携交渉に関与した社員3名(と各配偶者)
  5. 主幹事証券の担当者(証券会社側での情報管理確認)
  6. 契約した法律事務所の担当弁護士


調査の経過—「K氏がA社株式を保有していた」

弁護士による調査は約10日間で完了しました。
調査結果の報告を受けた日のことは、今でも鮮明に覚えています。

弁護士が静かに言いました。

「取締役Jの配偶者K氏について、事実が確認されました。
K氏はA社の株式を200株保有しており、提携発表の10日前に100株を追加購入していたことが確認されました。購入金額は約80万円です」

私は一呼吸おいてから聞きました。

「K氏がどこからA社との提携情報を得たか、確認できましたか」

「K氏へのヒアリングで、取締役JからA社との提携について『大きな案件が決まりそうだ』という話を聞いていたと証言しました。
取締役Jは『詳しい話はしていない』と言っていますが、K氏はその情報をもとに購入を判断したと述べています」

「大きな案件が決まりそうだ」

これが重要事実の伝達に当たるかどうかは法的な判断が必要ですが、結果としてK氏がA社株式を購入していた事実は動かせません。

取締役Jへのヒアリング

「そんなつもりじゃなかった」

弁護士同席のもと、取締役Jへのヒアリングが行われました。

「配偶者のK氏に、A社との提携について話しましたか」

取締役Jは青ざめた顔で答えました。

「……仕事の話として、大きな提携が決まりそうだと話しました。
A社の名前は出していません。インサイダーになるとは思っていませんでした」

「A社の名前を出していなくても、K氏の勤務先の業界とA社の関係から、K氏がA社と特定できた可能性はありますか」

取締役Jは長い沈黙の後、言いました。

「……K氏の勤務先はA社と取引があります。
私が話した内容から、K氏がA社と特定した可能性は……あります」


社長への報告—

「J、そんなことを」

調査結果を社長・CFOに報告しました。

社長はしばらく無言でした。取締役Jは創業時からの共同創業者です。

「Jは意図してインサイダーをやらせたわけではないと思う。でも、結果として……」

私は言いました。

「意図の有無は法的判断に影響しますが、事実として重要情報の伝達があり、その後の株式取引があった。
この事実関係は動きません。証券監視委員会への自主申告の検討が必要です」

社長は深い息をつきました。
「K氏にどのような処分が下るのか」

弁護士が答えました。

「K氏は上場企業A社のインサイダー取引の可能性があります。
利益は発表後の株価上昇分になりますが、金額より行為の事実が問題です。証券監視委員会への自主申告を行い、課徴金納付命令を受けることになる可能性があります。
取締役Jについては、情報管理の不注意として会社内での処分が必要です」

【4つの対応—困難な選択の連続】

弁護士・主幹事証券と協議の上、以下の対応を実施しました。

【対応①:証券監視委員会への報告】

弁護士の助言に基づき、K氏本人・弁護士・会社の三者で証券監視委員会に状況を報告しました。

K氏は調査に全面協力し、A社株式200株を全て売却した上で、インサイダー取引相当分の利益を課徴金として納付しました。

【対応②:取締役Jへの処分】

取締役Jに対し、役員報酬の4ヶ月間30%減額という処分を決定しました。処分の事実を取締役会議事録に記録しました。

取締役Jは処分を受け入れましたが、「A社の名前を出していないのにインサイダーになるとは知らなかった」という言葉が印象に残りました。

【対応③:インサイダー情報管理規程の整備】

この問題を契機に、以下の規程を新たに制定しました。

  1. 重要事実の管理者と管理方法の明確化
  2. 役員・社員のインサイダー規制に関する定期研修の義務化
  3. 役員の配偶者・家族への情報提供の禁止を明示
  4. 申請後から上場後6ヶ月間の役員・主要株主・その家族の株式取引の事前申告制度


【対応④:全役員・主要社員への教育】

専門弁護士による全役員・主要社員向けのインサイダー規制研修を実施しました。

特に「A社の名前を出していなくても、情報の組み合わせで特定できる場合は重要事実の伝達に当たりうる」という点を重点的に説明しました。

仮設例_上場審査直前に浮上した「インサイダー取引の疑い」_【申請への影響】

【申請への影響—2ヶ月の延期】

申請は2ヶ月延期されました。
主幹事証券の判断はこうでした。

「証券監視委員会への報告・課徴金の納付・規程整備・教育の実施——これらが完了した段階で申請することが、審査上の信頼性を確保するために必要です」

【取引所審査でのやりとり】

取引所審査において、この件について詳しい確認がありました。

「申請書類にインサイダー取引に関する問題の記載がありますが、詳細を説明してください」

私は経緯を正直に説明しました。

「N-1期の第3四半期に、A社との業務提携発表前後に関係者の周辺で不自然な取引があった可能性を主幹事証券からの情報として把握しました。

即日、専門弁護士を起用して調査を実施した結果、取締役の配偶者が重要事実に相当する情報を取締役から聞き、A社株式を取得していた事実が確認されました。

証券監視委員会への報告・課徴金の納付・インサイダー情報管理規程の整備・全役員への教育を完了しています」

審査担当者は言いました。

「発見から報告・調査・是正までの流れが適切です。特に、監査役が主幹事証券からの情報を受けて即日弁護士を起用し、事実確認を主導した対応は評価できます。
インサイダー情報管理体制の整備状況を引き続き確認させていただきます」

取締役Jの述懐
—「知らなかったでは済まなかった」

すべての対応が完了した後、取締役Jと私の間で短い会話がありました。

「インサイダー規制のことは知っていたつもりでした。
でも、A社の名前を出さずに話したくらいでこういうことになるとは思っていませんでした」

私は答えました。

「インサイダー規制は『知っているつもり』が最も危険です。役員になった瞬間から、自分が持つ情報の価値と影響を常に意識しなければなりません。特に家族への情報提供は、悪意がなくても問題になります」

「配偶者に仕事の話を一切しないというのは、難しいですね」

「だから規程が必要なんです。
何を話してはいけないかが明確になっていれば、取締役自身も守られます」

【5つの教訓】

①「提携・M&A・業績予測」の情報は管理者と管理方法を明確にする

  • 重要事実の漏洩リスクが高いのは、取引所への適時開示が必要になる大型の提携・M&A・業績の大幅な変化などです。
  • これらの情報について「誰が知っていて・誰に伝えていいか」を規程で明確にしておくことが第一の防止策です。


②「名前を出さなかった」は免罪符にならない

  • 今回の取締役Jのケースは、「A社の名前を出さなかった」にもかかわらず問題になりました。
  • 情報の組み合わせで特定できる場合、重要事実の伝達に当たりうることを、役員全員が理解しておく必要があります。


③家族・配偶者への情報提供が最大の盲点

  • インサイダー規制の中で最も「うっかり」が起きやすいのが、家族・配偶者への情報提供です。
  • 「仕事の話をした」という感覚でも、法的には重要事実の伝達に当たる場合があります。
  • 役員の家族への情報提供を禁止する規程を明示的に設けることが重要です。


④上場前でも・上場企業の株式でも・関係会社の株式でも適用される

  • インサイダー規制は、自社の株式だけでなく「重要情報を知った他の上場企業の株式」にも適用されます。
  • 取引先・提携先・競合他社の株式についても、重要情報を持っている間は取引を控えることを役員・社員に教育しておく必要があります。


⑤疑いの段階で即座に動くことが被害を最小化する

  • 今回、主幹事証券からの「非公式な情報」の段階で即座に弁護士を起用・調査を開始したことで、事実関係の早期把握と自主申告による対応軽減が実現しました。
  • 「まだ確定していないから様子を見る」という判断が最も危険です。


本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

④下請法違反(優越的地位の濫用・不当な値引き等)

【監査役として確認すべき実務チェックリスト】

  • 往査の際に以下を確認することで、下請法違反のリスクを早期に発見できます。


  1. 発注書は口頭ではなく書面で、発注と同時に交付されているか
  2. 支払期日は受領日から60日以内に設定されているか
  3. 「協力金」「リベート」「販促費負担」の名目で下請業者に負担を求めていないか
  4. 検収後に一方的な代金減額・返品・発注取り消しが行われていないか
  5. 取引量の大半を自社に依存している外注先に対して、強い価格交渉を行っていないか


【監査役が知っておくべき最近の動向】

  • 公正取引委員会は近年、下請法の執行を強化しています。特に注目すべき動向は以下の3点です。


①中小・成長企業への調査強化

以前は大企業が主な調査対象でしたが、近年はIPO準備企業を含む中堅・中小規模の企業にも調査が及ぶようになっています。

②「フリーランス保護新法」との連動

2024年11月施行の「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(フリーランス・事業者間取引適正化等法)により、フリーランスへの発注にも類似の規制が適用されるようになりました。
エンジニア・デザイナー・ライター等への業務委託が多いIPO準備企業は、この点でも注意が必要です。

③自主申告件数の増加

公正取引委員会は自主申告を積極的に受け付けており、自主申告した企業への処分が軽減される運用が続いています。問題を把握した場合の「最初の一手」として、自主申告という選択肢を念頭に置いておくことが重要です。

仮設例_上場審査で発覚した「下請法違反」の実態 

「ずっとやってきた慣行」が、法律違反だと知った日】

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

【登場人物と会社の概要】

【会社】社員数140名・Webシステム開発業・東証グロース上場を目指すN-2期の第2四半期

【社長】創業16年目
営業出身で、取引先との交渉力には自信がある。コスト管理に対して非常に厳しい姿勢を持つ


【取締役E(開発本部長)】下請業者との実務を統括。

「業界ではよくあること」という感覚で慣行を続けてきた


【外注先Z社】売上の約40%が本社からの発注

実質的に本社への依存度が高く、強く出られない立場にある


【常勤監査役(語り手)】元公正取引委員会職員

下請法には人一倍詳しい。就任から5ヶ月目


【主幹事証券】上場申請に向けた審査準備が本格化している段階

問題の発端—購買部門の往査で見つけた「値引き依頼書」

就任5ヶ月目、私は購買部門の往査を実施しました。

外注先への発注状況・契約書の整備・検収プロセスの確認が主な目的でした。

発注書・請求書・検収記録を閲覧していたところ、見慣れない書類が目に入りました。

「協力金のお願い」と書かれたA4の文書です。

内容はこうでした。

「誠に勝手なお願いではありますが、今期の収益改善に向けた取り組みの一環として、貴社にご協力をお願い申し上げます。下記の通り、協力金としてご請求金額より一定額をご負担いただきたく……」

金額は「発注金額の3%」。対象は外注先全社。

私の背筋が伸びました。

元公正取引委員会職員として、これが何を意味するか即座に分かりました。

下請法違反の疑いです。

【下請法の基礎知識—「協力金」は典型的な違反行為】

  • 下請法(下請代金支払遅延等防止法)は、親事業者が優越的な地位を利用して下請事業者に不当な負担を強いることを禁止する法律です。


この法律が禁止している行為の中に、「不当な経済上の利益の提供要請」(下請法第4条第2項第3号)があります。

具体的には、「協力金」「販売促進費」「リベート」といった名目で、下請事業者に金銭的な負担を求める行為です。

親事業者が「お願い」という形式を取っていても、取引上の優越的地位がある以上、下請事業者は実質的に断れません。これが「不当な要請」として違反行為と見なされます。

今回の「協力金のお願い」は、典型的な下請法違反の可能性がありました。

追加確認——問題の広がりを把握する】

「協力金のお願い」を発見した翌日、私は取締役Eに個別で話を聞きました。

「購買部門の往査で、外注先全社に対して発注金額の3%の協力金を求める文書を確認しました。この慣行はいつから行われていますか」

取締役Eは特に悪びれた様子もなく答えました。
「3年前から毎年やっています。社長の指示で、期末のコスト改善策の一つとして定着しています。外注先も皆了解していますよ」

「了解しているとはどういう意味ですか。断った外注先はいますか」

「……断ったところはないですね。でも強制ではなくあくまでお願いです」

私は続けました。

「取引量の約40%を本社に依存しているZ社のような外注先が、断れるとお考えですか」

取締役Eは黙りました。

さらに調査を続けたところ、以下の事実が判明しました。

【協力金の実態】

  1. 実施期間:3年間(毎年9〜10月に要請)
  2. 対象外注先:23社
  3. 1社あたりの負担額:平均35万円(年間)
  4. 3年間の総額:約2,400万円


【その他の問題行為】

  1. 「発注取り消し」の事例が複数確認された(検収後に理由なく発注を取り消し、代金を支払わないケース)
  2. 支払期日が下請法の規定(60日以内)を超えている取引が一部存在した
  3. 口頭発注が常態化しており、発注書の交付が遅れているケースが複数あった


「言うべきか・飲み込むか」—この案件特有の葛藤】

【飲み込もうとした理由】

  1. 「業界では普通にやっていること」という感覚が社内に根強くあった
  2. 3年間誰も問題視しなかった慣行を、就任5ヶ月の自分が覆すことへの迷い
  3. 外注先が「了解している」と言っているなら問題ないのではないかという疑念


N-2期の時点でこれを表面化すると、外注先との関係・コスト構造・上場スケジュールすべてに影響する

【それでも動かなければならないと思った理由】

下請法は「知らなかった」「業界の慣行だ」「外注先が了解した」では言い逃れできない。

公正取引委員会は近年、IPO準備企業の下請法違反に対して積極的に調査・勧告を行っている。

上場後に外注先のいずれかが公正取引委員会に申告すれば、行政処分・社名公表・株価急落という連鎖が起きる。

監査役として知った以上、黙っていることは善管注意義務違反になりうる

社長への報告—「業界では普通だ」という反論】

社長への個別報告は、覚悟の要る場面でした。

「外注先への協力金の要請について、下請法第4条第2項第3号に違反する可能性があることを確認しました。また、発注取り消し・支払遅延・口頭発注の問題も複数確認されています」

社長の反論は予想通りでした。

「業界ではどこでもやっていることだ。外注先も納得している。うちだけが問題になるわけがない」

私は落ち着いて答えました。

「下請法は業界慣行を理由に違反を正当化できません。また、公正取引委員会は近年、IPO準備企業を含む中小規模の企業への調査を強化しています。上場後に申告があれば、社名が公表され株価に直接影響します」

「3年間も問題なかったじゃないか」

「申告がなかっただけです。外注先は取引を失うことを恐れて申告できない立場にあります。その状況を利用していること自体が問題の核心です」

社長はしばらく無言でした。

仮設例_上場審査で発覚した「下請法違反」の実態 _【弁護士・主幹事証券との協議】

【弁護士・主幹事証券との協議】

翌日、私は外部弁護士に緊急相談し、下請法違反の可能性について法的見解を得ました。

弁護士の見解は明確でした。

「協力金の要請は下請法違反に該当する可能性が高い。発注取り消し・支払遅延・口頭発注の問題も合わせると、複数の違反行為が重なっています。上場審査では必ず指摘される事項であり、自主的に是正・申告することを強くお勧めします」

この見解を主幹事証券に共有したところ、担当者からはっきりと言われました。

「これは審査前に解決が必要な問題です。公正取引委員会への自主申告と外注先への補償を含めた是正計画を策定してください。この状態で申請することはできません」

是正のプロセス—6ヶ月間の取り組み

弁護士・主幹事証券と連携しながら、以下の是正措置を実施しました。

①公正取引委員会への自主申告(第1ヶ月)

弁護士の助言に基づき、公正取引委員会に自主申告を行いました。自主申告は、後の処分を軽減する要因として考慮されます。

②外注先への協力金の返還(第2〜3ヶ月)

過去3年間に受け取った協力金2,400万円を全額返還しました。返還の際、各外注先に「下請法の理解が不十分であったことによる誤った慣行であった」という趣旨の書面を送付しました。

③発注書交付・支払期日の是正(第2〜4ヶ月)

口頭発注を廃止し、全取引に発注書を交付する仕組みを構築しました。支払期日も下請法の規定に沿って見直しました。

④下請法コンプライアンス研修の実施(第3ヶ月)

購買部門・開発部門の全員を対象に、外部講師による下請法研修を実施しました。

⑤社内規程の整備(第4ヶ月)

「下請取引管理規程」を新たに制定し、発注書の交付・支払期日・協力金の禁止等を明文化しました。

⑥公正取引委員会からの指導への対応(第5〜6ヶ月)

自主申告を受けた公正取引委員会から、書面による指導がありました。是正措置の内容を報告し、指導への対応を完了しました。今回は「勧告」(社名公表を伴う行政処分)には至らず、「指導」の段階で決着しました。

仮設例_上場審査で発覚した「下請法違反」の実態_【上場スケジュールへの影響】

上場スケジュールへの影響】

上場申請は4ヶ月延期されました。
取引所審査では、この問題について以下のやりとりがありました。

「下請法違反の問題について、詳しく教えてください」

私は経緯を正直に説明しました。

「N-2期の部門往査において、外注先への協力金要請という下請法違反の可能性のある行為を監査役として確認しました。即日、弁護士・主幹事証券に共有し、公正取引委員会への自主申告・協力金の全額返還・社内規程の整備を含む是正措置を完了しています。公正取引委員会からは指導を受けましたが、勧告処分には至っていません」

審査担当者は資料を確認した後、こう言いました。

「自主的に発見・申告し、全額返還と再発防止策まで実施しています。対応は適切です。今後の取引において再発がないことを確認できれば、上場の障害にはなりません」

外注先Z社の反応】

是正措置の一環として、主要外注先のZ社社長に直接謝罪の場を設けました。

Z社社長はこう言いました。
「正直に言うと、ずっと断りたかったんです。でも、うちの売上の4割がそちらからの発注なので……言えなかった。返還していただけると聞いて、社員たちが喜んでいました」

この言葉が、最も重く響きました。

「了解している」と見えた外注先は、実は断れない立場にいた——それが下請法問題の本質でした。

【3つの教訓】

①「業界の慣行」は法律の免罪符にならない

「どこでもやっている」「外注先も納得している」——これらは下請法違反の言い逃れとして認められません。慣行として根付いている行為ほど、誰も問題視しないまま継続されます。監査役が外部の視点で「これは問題ではないか」と問いを立てることが最大の価値です。

②購買部門の往査で「協力金・リベート」に関する書類を必ず確認する

下請法違反は購買部門の書類の中に証拠が残ります。「協力金のお願い」「販売促進費負担のお願い」「値引き依頼書」といった書類は、往査の際に必ず確認すべき対象です。

③自主申告は処分を軽減する最大の武器

公正取引委員会への自主申告は、勧告(社名公表を伴う行政処分)を回避するための最も有効な手段です。問題を把握した後、隠蔽するのではなく速やかに自主申告することが、会社を守ることになります。

本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

3. 業績・事業計画の根幹に関わる問題】

① 直前期・申請期の業績の大幅な下方修正 

  •   IPOの審査では、申請期の業績達成の確実性が重視されます。


  • しかし、審査期間中に主要顧客の倒産や大型契約のキャンセル、予期せぬ市場環境の悪化などにより、業績見通しが大幅に下振れした場合、上場後の成長ストーリーが描けなくなり、審査の継続が困難になることがあります。 

 仮設例_上場審査中に発覚した「直前期の大幅な業績下方修正」 

申請まで残り2ヶ月。「この数字では出せない」と監査役が言った日

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。


登場人物と会社の概要会社】

 社員数160名・BtoB向けSaaS業・東証グロース上場を目指すN-1期の第3四半期

【社長】創業11年目
プロダクト開発への情熱が強く、投資家へのプレゼン能力が高い。数字の「見せ方」にこだわる傾向がある

【CFO】社長と共同創業者
財務に明るいが、社長の強い意向の前では発言を抑えることがある

【営業部長】入社5年目
今期の受注が計画を大幅に下回っていることを把握しているが、社長に報告できていない

【常勤監査役(語り手)】元証券会社のアナリスト出身
財務分析には自信がある。就任から1年3ヶ月目

【主幹事証券】申請書類の最終確認が始まっている段階
上場予定日まで約4ヶ月


問題の発端

第3四半期の月次数字に異変を感じたN-1期の第3四半期が終わろうとしていた11月末、私はいつも通り月次の業績報告資料を確認していました。

会社の事業計画では、N-1期の通期売上目標は前年比145%。第3四半期終了時点での累計達成率は、計画比で75%になっているはずでした。

しかし届いた資料の数字は、計画比68%。7ポイントの乖離は一見小さく見えますが、私はすぐに気づきました。

第4四半期(残り3ヶ月)に計画の40%以上を達成しなければ、通期の計画を達成できない。SaaS企業の売上構造上、最終四半期だけで4割を取るのは現実的ではありません。

その夜、私は電卓を叩きながら、最悪のシナリオを試算しました。


自分で試算した「着地見込み」

思った以上に深刻だった。
私はアナリスト時代の習慣から、月次の数字を細かく分解する癖があります。

受注残・解約率・新規受注ペース

これらのデータを組み合わせて、独自に第4四半期の着地を試算した。

【試算結果】

  1. 【楽観シナリオ】 :計画比88%(前年比127%)
  2. 【中立シナリオ】: 計画比82%(前年比119%)
  3. 【悲観シナリオ】: 計画比76%(前年比110%)


計画比100%(前年比145%)との乖離は、どのシナリオでも12〜24ポイント。これは「誤差」ではなく「構造的な未達」を意味していました。
問題はここからです。

上場申請書類に記載されている今期の業績予測は「前年比145%」です。
この数字が大幅に下振れすれば、申請書類の「業績予測に関する記載」の信頼性が問われます。


CFOへの確認】

「社長にはまだ言えていない」という言葉

翌朝、CFOに個別で話を聞きました。
「第3四半期の数字を見ました。第4四半期に計画の40%以上を積み上げる必要がありますが、足元の受注ペースからすると厳しいように思います。現状認識を聞かせてください」

CFOは少し沈黙した後、答えました。
「……実は私も同じことを考えていました。第2四半期の終わりから受注ペースが落ちていて、このままでは計画の80〜85%が関の山だと思っています」

「社長には伝えているのですか」

「伝えようとしたのですが……『第4四半期に大型案件がある』『営業が頑張れば挽回できる』と言われて。

社長は信じているんです、
「最後に何とかなると」

「大型案件の受注確度はどの程度ですか」

「30〜40%です。正直に言うと」
大型案件の受注確度30〜40%、現状の累計達成率68%
この組み合わせでは、計画達成は事実上不可能でした。


営業部長への確認

現場は「詰められるのが怖くて言えない」

CFOへのヒアリングの翌日、営業部長にも個別で話しかけました。
「足元の受注状況を率直に教えてください。計画達成に向けて、どのような見通しですか」

営業部長は疲れた表情で答えました。
「……正直に言うと、厳しいです。第2四半期あたりから受注単価が下がっていて、大型案件も2件が失注しました。第4四半期で挽回するのは、奇跡が起きないと難しいと思っています」

「社長に報告しているのですか」

「途中まで言いかけたことはありますが……詰められるのが怖くて。社長は『やれば何とかなる』というタイプなので」

「社長に悪い報告が上がらない」という構造が、ここでも現れていました。


「言うべきか・飲み込むか」】

この案件最大の葛藤業績の大幅未達を表面化させることの葛藤は、他の案件とは桁が違いました。

【飲み込もうとした理由】

【「奇跡が起きるかもしれない」という希望】
自分の試算が外れる可能性がゼロではない

申請まで残り約4ヶ月

今これを表面化すると、上場が1年以上延期になる可能性がある

「監査役が業績の見通しに口を出すのか」という社長の反発が容易に想像できた

「あの監査役がいなければ上場できていた」と言われる未来が頭をよぎった

【それでも動かなければならないと思った理由】

  1. 大幅に下振れする可能性が高い業績予測を記載した申請書類で上場申請することは、投資家に対する虚偽開示に当たりうる。
  2. 上場後に業績が大幅に下振れすれば、株価の急落・投資家訴訟・上場廃止というシナリオが現実になる


【監査役として】

「申請書類の内容が合理的な根拠に基づいているか」を確認することは、まさに職責の核心。

CFOも営業部長も

「知っているが言えない」という状況に置かれていた。その状況を作り出している経営文化自体が問題」


【社長との正面対話】

初めて「激怒」されたこれまでの案件では、個別面談からスタートしてきましたが、今回は社長・CFO・私の三者で話す場を設けることにしました。CFOを同席させることで、「監査役だけの思い込み」ではないことを示すためです。

社長に「業績の見通しについて三者で話したい」と申し入れると、不思議そうな顔をしながらも了承しました。

会議室で、私はまず試算を示しました。
「第3四半期終了時点の達成率・足元の受注ペース・大型案件の受注確度を踏まえて試算した結果、通期着地は計画比80〜85%程度と見込まれます。
申請書類に記載の計画比100%(前年比145%)との乖離は、投資家への開示の観点から問題になります」

社長は資料を見た後、初めて声を荒らげました。

「何を言っているのか。第4四半期に大型案件がある。あなたには営業の現場感が分からない。計画は必ず達成する」

私は静かに続けました。

「大型案件の受注確度についてCFOに確認したところ、30〜40%という回答でした。CFO、この認識は正しいですか」

CFOが、社長の顔を見ながら、それでも答えました。

「……はい、30〜40%という認識です」社長の表情が変わりました。

仮設例_上場審査中に発覚した「直前期の大幅な業績下方修正」 _【主幹事証券への緊急報告】

【主幹事証券への緊急報告

「申請を止める可能性がある」

三者会議の翌日、私は主幹事証券に電話しました。

「業績の着地見込みについて、重要な乖離が生じています。
通期の計画比が80〜85%になる可能性が高く、申請書類の業績予測との差異が大きくなります。今の状態で申請を続けることはできないと判断しています」

主幹事の担当者は深刻な声で言いました。

「分かりました。すぐに確認します。
業績が大幅に計画を下回る場合、申請書類の修正が必要になります。場合によっては申請時期の見直しも検討せざるを得ません」

翌週、主幹事証券・社長・CFO・監査役の緊急会議が開かれました。


3つの選択肢と会社の判断

主幹事証券から、3つの選択肢が提示されました。

【選択肢A】:申請書類の業績予測を修正して申請を続ける

  1. 現実的な着地見込みに業績予測を修正した上で、申請書類を修正して申請を続ける。ただし「当初の計画を大きく下回った」事実を詳しく説明する必要があり、投資家への印象は悪化する。
  2. また修正の幅が大きい場合、主幹事が「申請の適切性」を判断できないケースがある。


【選択肢B】:申請を取り下げ、業績が回復してから再申請する

一旦申請を取り下げ、業績が回復・安定してから改めて申請する。上場時期は1〜2年延期になるが、「業績が安定した段階で上場した」という評価につながる。


【選択肢C】:N期(上場予定期)の業績を重視して申請を続ける

  1. N-1期の未達は認めた上で、N期の業績予測の合理性を主幹事・取引所に説明する形で申請を続ける。
  2. N期の受注見込みが強固であることを示す必要がある。


社長は長い沈黙の後、口を開きました。

「……選択肢Bで行く。業績が回復していない状態で上場して、上場後にさらに下振れしたら、それこそ取り返しがつかない」

この言葉は、私にとって意外でした。

「何としても予定通り上場する」と言うと思っていたからです。
後から聞くと、CFOが前日の夜に社長と個別で話し、「監査役の言っていることは正しい。上場後の株価暴落のリスクを社長にも理解してほしい」と伝えていたようです。

仮設例_上場審査中に発覚した「直前期の大幅な業績下方修正」 _【申請取り下げから15ヶ月後】

【申請取り下げから15ヶ月後】

再申請と上場申請取り下げから15ヶ月後、会社は改めて上場申請を行いました。
業績の下振れの原因は、主力製品の市場競争の激化による受注単価の低下でした。
この期間に、会社は製品のリニューアル・価格戦略の見直し・新市場への展開を進めました。

再申請時の業績は、取り下げ時点から前年比128%の回復を見せていました。
取引所審査では、申請取り下げの経緯について詳しい確認がありました。
「前回の申請取り下げについて、詳しく教えてください」私は答えました。

「N-1期の第3四半期に、業績の着地見込みが申請書類の業績予測と大幅に乖離することを監査役として確認しました。投資家への適切な開示ができない状態での申請を避けるため、主幹事証券と協議の上、申請の取り下げを選択しました」

審査担当者はこう言いました。

「投資家保護の観点から、適切な判断だったと評価しています。業績の回復と再申請書類の内容の整合性も確認できました」


【上場後】

社長の言葉上場承認を受けた日の夜、社長から電話がかかってきました。「15ヶ月前、あなたに止められたとき、正直ものすごく腹が立った。でも今振り返ると、あの状態で上場していたら確実に上場後に株価が暴落していた。投資家への損害は取り返しがつかなかった。あなたが止めてくれて良かった」

「あなたが止めてくれて良かった」

この言葉は、監査役を続けてきた意味を確認させてくれるものでした。


【4つの教訓】

①月次数字の「異変」に敏感でいる

  1. 業績の大幅未達は、ある日突然発覚するのではなく、月次の数字に徐々にサインが出ています。
  2. 計画比の乖離・受注ペースの鈍化・受注単価の低下——これらを継続的にモニタリングすることが早期発見の鍵です。


②「社長に悪い報告が上がらない」文化が最大のリスク

  1. 今回のケースでは、CFOも営業部長も「知っているが言えない」という状態に置かれていました。
  2. この文化が業績悪化の早期対処を妨げ、問題を大きくします。監査役がCFO・営業部長と個別に話せる関係を持っていたことが、実態把握の鍵になりました。

② 主要な取引先からの取引停止通告

  • 売上の大部分を依存している特定の取引先から、契約の打ち切りや取引停止の通告を受けた場合、事業の継続性に重大な懸念が生じます。 

仮設例_主要な取引先からの取引停止通告

【売上の35%を占める顧客から、突然の手紙が届いた日】

※本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。

登場人物と会社の概要

【会社】社員数95名・業務システム受託開発業・東証グロース上場を目指すN-1期の第3四半期

【社長】創業15年目
技術力への自信が強く、「品質で勝負する」が信条。営業は幹部に任せる方針

【取締役G(営業本部長)】 主要取引先との関係を一手に管理
社長への報告は「良い話だけ」という傾向があった

【Q社】会社の売上の約35%を占める最大の取引先
大手製造業。10年以上の取引関係がある

【常勤監査役(語り手)】元銀行員出身
与信管理・取引先リスクの評価に長けている。就任から11ヶ月目

【主幹事証券】上場申請書類の最終ドラフトが完成し、申請まで残り約3ヶ月の段階

問題の発端——経理部門への往査で見つけた「一通の封書」】

11月の経理部門往査のことでした。

売掛金の回収状況を確認していたところ、Q社からの入金が当月分で止まっていることに気づきました。

「Q社の9月分の請求、まだ回収できていないのですか」

経理担当者が少し言いにくそうに答えました。

「……実は、先月Q社から書面が届いていまして」

引き出しから取り出されたのは、Q社の法務部名義の封書でした。

開封すると、こう書かれていました。

「弊社は貴社との業務委託契約について、契約条項第15条に基づき、本書面到達より6ヶ月後をもって取引を終了することを通告いたします。なお、終了理由については別途担当者よりご説明申し上げます」

私は封書を持ったまま、しばらく動けませんでした。
Q社は、この会社の売上の35%を占める最大の取引先です。

最初に確認したこと——社長は知っているのか

封書の日付は1ヶ月前。

私がまず確認したのは「社長はこの事実を知っているのか」でした。

経理担当者に聞くと、

「人事部長ではなく取締役Gに直接届いたので、経営陣の中でどこまで共有されているか分からない」という答えでした。

取締役Gに確認したところ、こう言いました。

「Q社から書面が届いたのは事実です。しかし、まだ詳しい理由を聞いていないので、社長には報告していません。もう少し状況を把握してから報告しようと思っていました」

「1ヶ月間、社長に報告していなかったということですか」

「……はい」

私は取締役Gに伝えました。

「今日中に社長に報告してください。もし取締役Gが報告しない場合、私から直接報告します」

【「言うべきか・飲み込むか」—今回の葛藤の特殊性】

この案件の葛藤は、これまでの事例とは異なる性質でした。

「監査役として指摘すべきかどうか」ではなく、「どのタイミングで・誰に・どう伝えるか」という問題です。

事実は既に起きていました。Q社からの取引停止通告は現実でした。

私が直面した葛藤はこうです。

【「もみ消される前に、どう動くか」】

取締役Gは1ヶ月間、社長に報告していませんでした。この事実は「報告を遅らせることで何とかなると思っていた」か、「報告が怖くてできなかった」かのどちらかです。

どちらにしても、上場申請書類にこの事実が反映されなければ、投資家への重要な事実の不開示になります。

もし申請後に発覚すれば、不正開示として審査が中断・上場廃止の問題に発展します。

私には、この事実を表面化させる義務がありました。

社長への直接報告—「なぜ今まで知らなかったのか」

その日の午後、私は社長・取締役G・CFOを集めた緊急の場を設けました。

「Q社から6ヶ月後の取引停止を通告する書面が届いています。1ヶ月前に届いた書面が、社長にはまだ報告されていませんでした」

社長の表情が変わりました。

「……Q社から取引停止?」

取締役Gを見ました。取締役Gは下を向いていました。

「G、なぜ報告しなかったのか」

「詳しい理由がまだ分かっていなかったので……」

社長が私に向き直りました。

「Q社はうちの売上の35%です。これが本当なら、上場はどうなるのか」

私は答えました。

「まず、Q社が取引停止を通告した理由を確認することが最優先です。
理由によっては対応できる可能性もあります。
ただし、この事実は主幹事証券に今日中に報告する必要があります」

Q社への確認—取引停止の「本当の理由」】

翌日、社長・取締役G・私の三者でQ社の担当部署に連絡を取り、面談の場を設けてもらいました。

Q社の購買部長と法務担当者が対応しました。

取引停止の理由として挙げられたのは、3つの問題でした。

理由①:品質問題の蓄積

過去18ヶ月の間に、納品物に関するクレームが7件発生していた。
個別には解決されてきたが、「同じ問題が繰り返される」という認識がQ社内で積み上がっていた。

理由②:担当者の対応への不満

取締役Gの担当者(営業担当)が、クレームの際に「言い訳が多い」「対応が遅い」という印象をQ社に与えていた。
Q社の購買担当者から複数回、改善要請が出ていたが、社内で共有されていなかった。

理由③:価格競争力の低下

競合他社から、同水準の品質でより低い価格の提案が来ており、来期の更新を機に切り替えを検討していた。
購買部長はこう言いました。

「一つ一つは大きな問題ではないかもしれませんが、積み重なってしまいました。正直に言うと、今の関係を継続するかどうかは、この6ヶ月間の対応次第だと思っています」

「6ヶ月間の対応次第」——取引停止は確定ではなかった。

しかし、そのことよりも私には気になる事実がありました。

「7件のクレーム」「複数回の改善要請」
—これらが社長に報告されていなかった。

仮設例_主要な取引先からの取引停止通告_【主幹事証券への報告】

主幹事証券への報告——「申請書類の見直しが必要」】

Q社との面談当日の夜、私は主幹事証券の担当者に状況を報告しました。

「売上の35%を占めるQ社から取引停止の通告を受けています。
6ヶ月以内に関係を回復できなかった場合、業績への重大な影響があります。
申請書類のリスク要因への記載と、業績予測の見直しが必要になる可能性があります」

主幹事の反応は深刻でした。

「これは重要な事実の変更です。
申請書類にQ社との取引の状況を正確に開示する必要があります。
また、Q社との取引が終了した場合の業績への影響試算を、投資家に分かる形で記載しなければなりません。

最悪のケースでは、申請時期を見直す必要があります」

6ヶ月間の取り組み—関係修復に向けた全力対応

Q社からの通告を受けてから6ヶ月間、会社は以下の対応を実施しました。

①問題の原因究明と品質管理体制の見直し

7件のクレームの根本原因を分析したところ、「テスト工程の人員不足」「担当者の引き継ぎ不備」という2つの構造的な問題が浮かび上がりました。
テスト要員の増員と引き継ぎプロトコルの整備を実施しました。

②Q社担当者の交代と関係の再構築

取締役Gの直属の営業担当者をQ社担当から外し、より経験のある担当者をアサインしました。
月次の定例ミーティングを設け、Q社の購買部長に直接状況報告する体制を作りました。

③価格の見直し

競合他社の提案価格を参考に、一部の業務について価格を見直しました。品質の改善と価格競争力の回復を組み合わせた提案を行いました。

④社長によるQ社トップへの直接謝罪

社長が直接Q社の購買本部長を訪問し、「クレームへの対応が不十分だった」「品質管理体制を改善した」という説明と謝罪を行いました。

【6ヶ月後—Q社の判断】

6ヶ月後、Q社から正式な回答が届きました。

「品質管理体制の改善と担当者対応の変化を確認しました。
また、価格についても一定の改善が見られました。これらを踏まえ、取引を継続することとします。
ただし、今後1年間は四半期ごとに品質・対応状況の評価を実施します」
取引停止は回避されました。

ただし「1年間の評価期間」という条件が付きました。

【申請書類への開示—「リスク要因」として正直に記載】

主幹事証券と協議の上、申請書類に以下の内容を正直に記載しました。

「当社の売上の約35%はQ社との取引によるものです。N-1期において、Q社から取引停止の通告を受けましたが、品質管理体制の改善・担当者体制の見直し・価格の適正化を実施した結果、取引継続の合意を得ました。

ただし、今後1年間は四半期ごとの評価が行われる状況であり、当社の品質管理・顧客対応の維持・向上が継続的な課題です」

また、Q社との取引が仮に終了した場合の業績への影響試算も、投資家向けの説明資料に追加しました。

仮設例_主要な取引先からの取引停止通告_【取引所審査でのやりとり】

取引所審査でのやりとり】

取引所審査では、Q社との取引について詳しい質問がありました。

「申請書類にQ社からの取引停止通告と、その後の対応が記載されていますが、詳しく聞かせてください」

私は答えました。

「N-1期の第3四半期に、Q社から取引停止の通告を受けました。取引停止の理由は品質問題の蓄積・担当者対応への不満・価格競争力の低下の3点でした。
この事実は、監査役として把握した翌日に主幹事証券に報告し、申請書類への適切な開示を求めました。
その後6ヶ月間で品質管理体制の改善と関係の再構築を行い、取引継続の合意を得ています」

審査担当者は続けました。

「監査役はどのようにこの事実を把握したのですか」

「経理部門の往査において、Q社からの売掛金入金が止まっていたことから確認しました。
書面が届いてから1ヶ月間、社長に報告されていなかった事実も確認し、その日のうちに社長への報告と主幹事証券への連絡を行いました」

審査担当者は言いました。

「重要な事実が速やかに開示されており、投資家への情報提供という観点では適切に対応されています。
Q社との取引継続も確認できました。特定顧客依存のリスクについては、引き続き投資家への丁寧な説明をお願いします」

【この経験で見えた「報告しない文化」の問題】

この事例で私が最も深刻だと感じたのは、Q社からの取引停止通告よりも、「1ヶ月間、社長に報告されなかった」という事実でした。

取締役Gは悪意があったわけではありません。
しかし「詳しい理由が分からないうちは報告しない」という判断は、「社長に悪い報告をしたくない」という心理から来ていました。

これは、会社の内部情報の流れに重大な問題があることを示しています。
取引停止通告という重大な事実が1ヶ月間、社長の耳に入らなかった。それと同じことが、他の場所でも起きているかもしれません。

この問題を受けて、私は取締役会で「重要なネガティブ情報の報告ルール」の整備を提案しました。

取引先からの契約解除・取引停止の通告は、受領後48時間以内に社長・CFO・監査役に報告する

受注キャンセル・大型クレームについても同様のルールを適用する
このルールが制定されたことで、「報告が遅れる文化」への対処が制度として整いました。

【4つの教訓】

①売掛金の動きが「最初のサイン」になる

今回の発見は「Q社からの入金が止まっていた」という売掛金の変化からでした。
主要取引先の入金状況を定期的にモニタリングすることが、取引リスクの早期発見につながります。

②「報告されていない重要情報」が最大のリスク

Q社の取引停止通告が1ヶ月間報告されなかった事実は、取引停止そのものと同じくらい深刻な問題です。
「社長に悪い報告が上がらない」文化は、有事の対応を遅らせ、被害を拡大させます。監査役が「知ること」の仕組みを作ることが重要です。

③取引停止通告は「交渉の始まり」である場合がある

今回のQ社のケースでは「6ヶ月間の対応次第」という余地がありました。
通告を受けた時点で諦めず、理由を丁寧に確認することが関係修復の第一歩です。理由が分からないまま放置することが最悪の選択になります。

④「特定顧客依存」のリスクを日頃から意識・開示する

売上の35%を一社に依存している状況は、IPO審査でも必ず問われるリスク要因です。
日頃から取引先の分散を意識するとともに、申請書類への適切な開示と投資家への丁寧な説明を準備しておくことが重要です。

本事例は実務でよくあるパターンをもとにした仮設例です。特定の企業・個人を指すものではありません。
出典:IPO監査役ひろば(https://www.kansayaku.net/)

3.審査を中断させないためのポイント

  • これらの事態を防ぐためには、N-3期やN-2期の段階で、監査法人や主幹事証券(あるいは外部の専門家)によるショートレビューを徹底的に行い、会社の「膿」を出し切っておくことが不可欠です。


  • 特に、常勤監査役は「経営陣に対するストッパー役」として、耳の痛い問題から目を背けず、早期の是正を促すことが求められます。

4.監査役の具体的な事例紹介

事例1:労務問題の早期発見と対応

未払い残業代の問題をいち早く指摘し、迅速に改善を促した監査役の実例です。

事例2:関連当事者取引の透明化促進

オーナー社長との不透明な取引を明確化し、利益相反リスクを排除したケースを紹介します。

事例3:架空売上の発見と審査継続への貢献

架空売上の疑いを監査法人と共に調査し、適切な会計処理への是正を実現した事例です。

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